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三日月宗近ようかんに新バージョンが登場

三日月宗近ようかんに新バージョンが登場

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三日月宗近 山中鹿介バージョン

三日月宗近に新バージョンが登場しました。
昨日7月1日より大阪道頓堀で戦国バルが開催されています。こちらの「すごい!鳥取市」ブースで
一夢庵の商品を販売させていただいております。今回特にPRさせていただいているのは鳥取市の鹿野
にあった因幡国鹿野藩の亀井茲矩公です。

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亀井茲矩 刀剣武家ようかん

刀剣武家ようかんの説明文によりますと、

亀井茲矩(かめいこれのり)は戦国時代の武将。
尼子氏に仕え、毛利氏に滅ぼされた後、山中鹿之助らと尼子氏再興の兵を挙げるが失敗。秀吉に仕える。秀吉に琉球を所望し琉球守と書いた扇を秀吉から授かった。関ヶ原の戦いで鳥取城下を焼いて落城させ、戦功により因幡国(鳥取県)鹿野藩主となる。子孫は津和野藩主となった。

山中鹿介も刀剣武家ようかんの説明文によりますと、

山中鹿介(やまなかしかのすけ・本名は幸盛)は、戦国時代の武将。尼子氏に仕えたが毛利氏に滅ぼされ、尼子氏再興の兵を亀井茲矩と挙げる。三日月に「願わくば我に七難八苦を与え給え」と祈ったことで知られる。のち毛利氏に敗れ謀殺された。享保名物帳によると三日月宗近を佩用したとも言われるが定かでない。宗近銘の半月丸という刀を使用したとも言われる。

とのことで、亀井茲矩と山中鹿介は共に尼子氏再興を目指して挙兵したんですね。
山中鹿介の七難八苦の話はドラえもんのくろうみその話で紹介されていたので小学校の頃から馴染みの話でもあります。

さて、ここで刀剣好きの方向けのお話しを。
山中鹿介は一時三日月宗近を佩用していたという説があります。これは江戸時代刀剣の集大成本「享保名物帳」に記載があるのです。もちろん疑わしいのですが、北政所の侍臣に山中鹿之助なる似た名前の人がいて、そちらではないかとか、これまた疑わしいですね。三日月を兜の前立てにした江戸時代の山中鹿介の絵もあるので、そのあたりで伝承が結びついたのではないでしょうか?

というわけで、今回は亀井茲矩ゆかりの鳥取市ブースのお手伝いをさせて頂く事から、山中鹿介のようかんも三日月宗近バージョンで作らせていただきました。

道頓堀戦国バル、7月2日の本日土曜日も開催中です。ぜひ鳥取市ブースへ!

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