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震災と祇園祭と三条小鍛治宗近

震災と祇園祭と三条小鍛治宗近

もう三日過ぎてしまいましたが、3月11日から4年目が過ぎました。
4年前の3月11日はドワンゴのニコ生に出演する予定で東京へ向かっていました。
この頃ドワンゴさんでサムライ列伝という連載コーナーを持たせて頂いており、家紋データの配信などもさせていただいていました。ニコ生はそのサムライ列伝の話をする予定だったのですが、東京に入ることができず山梨から引き返してきたのでした。

さて、その震災ですが1145年前にもありました。貞観11年西暦869年のことでした。

五月廿六日癸未 陸奧國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城郭倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝洄漲長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乘船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉

『日本三代実録』

野原も道路もことごとく海となり、船に乗ることもできず、山にのぼることもできずなかった人は千人以上溺れてしまったとあります。人口が600万人くらいしかいなかった時代に1000人も溺れてしまったというのは現代に置き換えたら2万人くらいでしょうか。東日本大震災と同じくらい恐ろしい被害をもたらしたのでしょう。

実はこの年に祇園祭がはじまったとも言われています。一般には都で流行った疫病を鎮めるためといわれています。しかし日本全国66カ国だったので66個の矛を立てて平安を祈願したということも言われているのです。まさに貞観地震など全国の災厄を鎮めようとしたのが祇園祭のはじまりだったともいえるかも知れません。

ところで、祇園祭の鉾の先頭は長刀鉾(なぎなたほこ)と決まっています。くじ引きで順番が決まる鉾もあるので長刀鉾はくじ取らずと言われています。その長刀鉾のてっぺんには大きな長刀があります。この長刀は三日月宗近で有名な三条小鍛治宗近の作だったのです。そういえば弁慶の岩融も宗近とも言われていますね。

三条小鍛治宗近が娘の病気治癒を感謝して現在の八坂神社となる祇園社に奉納した長刀と言われています。大永2(1522)年に三条長吉作のものと取り替え,延宝3(1675)年には和泉守来金道(らいきんみち)作のものと取り替えられたそうです。現在は竹に銀箔を貼っている模造品らしいです。

実は三条小鍛治宗近の長刀は今も残っています。下京区の松原富小路あたりの中之町に扁額として残っているそうなのですが、今は非公開で見ることができないようです。

この長刀ですが、影だけで注連縄を切ったり、長刀の影を踏んで怪我をした人がいたとか、何とも不思議な刀でした。源頼家の遺児千寿丸を擁して北条義時に謀反を起こしたことで知られる和泉小次郎親衡が、三条小鍛治宗近の太刀を譲り受けて使っていたそうです。しかし不思議なことが起きるため神仏を私する非を悟り再び返納したという逸話も伝わっています。

長刀鉾の装飾には怪力で知られる和泉小次郎親衡が船を引く木像もあります。もちろん、破風の下には三条小鍛治宗近が長刀を持つ木像もあります。今年の祇園祭にはまだ気が早いですが長刀鉾をぜひ見て下さい。

三条小鍛治宗近の刀には魔除けの効果があるとも言われています。長刀鉾のお稚児さんが7月10日に行う清祓の儀では、宗近の刀で肩をさすり魔除けをするとか。以前作らせて頂いたサイト「e京都ねっと」でも紹介しています。http://www.e-kyoto.net/saiji/175
三条宗近の刀で魔除けをしてみたいですね。

最後になりましたが、最近聞かなくなった東日本大震災で犠牲になった方のご冥福をお祈りし、復興が順調に進むことを祈念致します。