しばらく途絶えていた武ログを復活します。
今までの武ろぐは女将や電師が書いていましたが、今後は一夢庵の大旦那か手代が書かせていただきます。
一夢庵は今は京都の壬生にあります。創業の地は北山で、東山三年坂、嵐山、京都駅、奈良猿沢池とたくさんお店を出している時期もありました。その後三条烏丸、間之町御池、四条河原町柳小路と転々として、今は壬生のはずれにあります。壬生と言えば新選組で有名な壬生寺や八木邸・前川邸があります。そこからは少し離れている場所です。今はお店がないので、イベントか、旧前川邸・小田原城あたりでうちのお菓子は見つけて下さいね。
さて、今日3月10日(旧暦)は壬生にゆかりのある事件が起きた日でした。京都に来た近藤勇らですが、いろいろあって江戸へ帰ることを命じられます。そこで京都守護職の松平容保に、京都に残って警備をしたいと嘆願書を出した日のようです。近藤勇の「志大略認書」によると、
以下引用
以上『鶴巻孝雄研究室』にあるhttp://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuru-hp/index.htm文章を引用させていただきました。
ということで、将軍の警備に来たのに、将軍が来る前に帰りたくないんで、京都に残って将軍や天皇を警備し、攘夷をしたいというお願いを京都守護職松平容保に出した日が今日だったのです。
さて、先日から刀剣が話題になっていますので、新選組の刀剣の話も少々。
新選組隊士の有名な刀といえば真っ先に思い浮かぶのが近藤勇の長曽根虎徹、土方歳三の和泉守兼定、沖田総司の菊一文字則宗ですね。
長曽根虎徹はどっかできいたことがある言い回し「今宵の虎徹は血に餓えている」がありますが、これって出典をご存じの方いらしたらぜひ教えて下さい。長曽根虎徹はニセ者だらけで、近藤さんのもニセ者説もありますね。ニセ者とはいえ源清麻呂だったとも言われていて、こちらも切れ味で有名な刀だったようです。
和泉守兼定ですが、会津の十一代目兼定が京都に来たときに西洞院竹屋町の三品近江守のところで修行したとも言われていて、そこで作られたもののようです。いま土方歳三資料館にあるのは十二代目のもののようです。
友達に十八代目くらいの兼定くんがいますが、こちらは会津ではなく美濃の関の方に代々いたようなんですが、今度詳しく聞いておきます。
菊一文字則宗は沖田の刀で有名ですが、実際はとても高価な刀で、小説だけの話ではと言われています。実際には大和守安定と加州清光は確実に使っていたようですね。
刀剣武家ようかんもこのラインナップから出す予定が、皆さんからのご要望で少し違った物になってしまいました。機会があればこのへんも登場するかもしれません。
それでは、また!