粟田口クリアファイル3のご紹介

粟田口3

昨日発表しました粟田口クリアファイルについて、使われているイラストの意味について結構ご質問を頂きましたので、商品のご紹介がてらお答えしたいと思います。

まず、鳴狐はその名の通り狐の絵です。(^^;

一期一振は刀剣好きだった明治天皇の洋装のイメージです。よくある肖像画で着ていらっしゃる服についている襷のような所のイメージです。

鯰尾藤四郎は鯰

骨喰藤四郎は実際に切らなくても、切る真似をしただけで骨まで切れてしまうというイメージです。

薬研藤四郎は薬研

前田藤四郎は、主の前田利政の被っていた変わり兜のイメージです。
前田利政は、前田利家の次男でまつの子です。能登七尾城主でもありましたが、関ヶ原の戦いで西軍につき所領を没収されてしまいます。その子から金沢2代藩主に献上されたのが前田藤四郎でした。前田藤四郎の主だった前田利政は京都大徳寺芳春院にお墓があります。

平野藤四郎は、もともとの来歴がを辿ると、
秀吉の重臣・木村重茲が大坂平野の商人・平野道雪から買った物でした。
木村重茲は千利休から茶道の秘伝を伝授された台子七人衆の一人(歌仙兼定の細川忠興も)、なので茶碗のイメージです。
木村重茲は豊臣秀次の家老であったため、秀次事件で茨木の大門寺で切腹を命じられてしまいます。その後は、秀吉から加賀前田家に伝わり、明治天皇に献上されます。

後藤藤四郎は、大判小判を作っていた金座の元締め後藤庄三郎が所持していたため、小判です。

乱藤四郎は、応仁の乱の東軍総大将・細川勝元のものでした。その後足利家が所有し、本圀寺の変で足利義昭を助けた朽木元綱に、信長が恩賞として与えました。その本圀寺にあった天下人の石と言われる藤戸石という名石を足利義昭の二条城造営に使ったことから、藤戸石のイメージです。切っちゃってますが(^^;

厚藤四郎は、秀吉が肥前名護屋から大政所の危篤を聞いて帰る途中、下関で船が座礁し、それを小舟を乗り付けて助けた毛利秀元に恩賞として与えられました。そのため毛利秀元の小舟をイメージしています。

博多藤四郎は、刀身に護摩箸の彫り物がしていることから箸をイメージ。

五虎退は、中国で5匹の虎に襲われたのを撃退したことから五匹の虎のイメージです。
上杉謙信が正親町天皇・足利義輝から五虎退を与えられ、桐紋の使用も認められたことから上杉桐の家紋を使っています。

秋田藤四郎は、主の秋田実季が詠んだ歌、

我が庵は 道みえぬまで 茂りぬる すすきの絲の 心ぼそしや

からと、秋のイメージからススキを使っています。

少しでも創作活動をされる方のお役に立てれば!

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