久しぶりの大旦那の武ログです。
先日結城の蔵美館へ行って来ました!御手杵のレプリカを展示していることで近年(^^;というか今年になって有名になった場所です。実はうちの母方の実家が近くにあり、小さい頃からよくうろうろしていた馴染みの場所なんです。今でも叔母が同じ町内に住んでいます。
そこで気になったことが御手杵を持っていた結城家の家紋なんです。結城家の家紋は様々な記録を紐解くと、三頭右巴もしくは右巴紋であると書かれています。現代の解釈では、時計回りのものを右旋回となるかと思います。しかし、歴史上で見ると必ずしもそう解釈されていないことに気がつきます。
そこで家紋を最も古くさかのぼった書物である足利義政の時代の『見聞諸家紋』を見ることにします。そこには、宇都宮氏、小山氏、結城氏などが図入りで家紋の説明があります。宇都宮氏は左巴と書いてあるが右旋回の絵、小山氏・結城氏は何も記載が無くただ「巴紋」で左旋回の家紋の絵が描かれていて、宇都宮氏とは逆になっています。という記載から考えると、結城氏は右巴ですが、左旋回ということになります。
これについて近代の家紋学者の草分け、沼田頼輔先生は『見聞諸家紋』が間違いであろうと結論づけております。
巴紋を最初に用いたという西園寺家は藤原北家公季流なのですが、ここから別れ出た家は、梅園家、大宮家などがあります。西園寺家は三ツ頭左巴で左旋回、梅園家は三ツ頭右三つ巴で右旋回、大宮家は三ツ頭左三つ巴で左旋回だそうです。つまり、この西園寺の嫡流庶流で既に混乱が見られるのです。
新選組研究家の釣洋一先生は土方歳三の家紋についての記事で沼田先生に反論し、『見聞諸家紋』が正しいとしています。
いずれにせよ、時代によって家によって、呼び名も旋回方向もまちまちで一定でないという結論になります。結城氏も右巴と記録がありますが、左旋回の可能性があること。結城晴朝の肖像画が御手杵の近くに展示されていますが、左旋回の家紋が3つ描かれています。左旋回の巴紋の可能性が高いわけですが、右という記録も有り、確実なことは言えません。
そこで、御手杵の羊羹を作るときの家紋は、左旋回の巴紋、右旋回の巴紋、そして杵紋の3種類で作成しました。先日御子孫の方から羊羹の御注文を頂いたのですが、とりあえず全種類入れて欲しいとのことでしたので、写真のような5つセットになりました。
追記
ネットでも見れる参考資料は下記になります。こちらも参考にさせていただきました。
http://www.harimaya.com/o_kamon1/hanasi/kamon_h.html
http://www.geocities.jp/rockfish384/zakki/kamon6/kamon6.htm