鳥取と浦島虎徹と太鼓鐘貞宗の意外な関係+大包平

鳥取と浦島虎徹と太鼓鐘貞宗の意外な関係+大包平

先日7/2土曜日まで開催の道頓堀戦国バルに出展中の「すごい!鳥取市」PRブースで
鳥取ゆかりの山中鹿介、亀井茲矩の刀剣武家ようかんも販売させていただきました。来ていただきましたお客様、ありがとうございました!
その時に鳥取にゆかりのある刀剣を紹介する記事を書いたのですが、「鳥取と浦島虎徹と太鼓鐘貞宗の意外な関係」、これ間違えて次の記事に上書きしてしまい消えてしまいました。気がつかなくてすいません。ぜひ読みたかったとご意見を頂戴したため、再度記事を書かせていただきます。せっかくなので+大包平バージョンを付けさせていただきますね。

浦島虎徹

浦島虎徹は長曾根虎徹による短刀で、銘によると1660年に作られています。最初の来歴は不明ですが、鳥取藩主池田氏に伝わってきました。刀身の表には浦島太郎が書かれている事でこの名が付きました。もっともこの彫り物は浦島太郎ではないという説もありますが、その根拠は亀が書かれていないなどの理由なので、それも正しいかどうか分かりません。浦島太郎は日本書紀や丹後国風土記から登場するのですが、その頃の元の話には亀や竜宮城は登場しません。常世の国へ行く話になっています。お伽草紙以降の話で亀の恩返し要素や竜宮城や乙姫様に玉手箱が登場するようになるのですが、全国各地にバリエーションがあるため、亀がいなくても浦島太郎の可能性はあるかも知れませんね。

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鳥取藩は池田家が代々藩主を務めたのですが、姫路城を現在に伝わる形にした池田輝政の系統になります。池田輝政は徳川家康の娘・督姫と結婚するので、いわば家康の娘婿。姫路城にいた頃は破格の待遇でした。その督姫の系統が後に因幡国鳥取藩の池田氏になるのです。池田氏には督姫とは違う系統もあり、そちらが岡山の池田家本家になります。大包平を入手したとも言われる池田光政は姫路から鳥取、鳥取から岡山へ転々と転封になっています。そう考えると大包平も鳥取にあったこともあるでしょうね。

さて、最近一夢庵で大包平と並び廃盤寸前だった太鼓鐘貞宗ですが、急に人気が取り戻しているようで、デザインしたけどお蔵入りになりそうだった新パッケージも出してしまいました。実はこの太鼓鐘貞宗と鳥取には意外な関係があるのです。

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それは、池田輝政と家康の娘・督姫の間にできた娘に振姫がおられまして、あの伊達政宗の息子・忠宗に嫁入りすることになります。その婚礼祝いに将軍家から太鼓鐘貞宗が伊達家に贈られたのでした。振姫は嫁ぎ先の伊達家で1659年になくなります。浦島虎徹はその翌年に作られるのでした。

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振姫の兄の子である池田光仲が鳥取藩主になるのですが、池田光仲の母は蜂須賀家の三保姫。蜂須賀虎徹とも関係ありそうですが、三保姫が池田家に嫁ぐのは1630年頃なので残念ながら時代があわないようです。

浦島虎徹の鳥取池田家と、太鼓鐘貞宗、そして大包平の意外な関係。いかがでしたでしょうか。

さらに博多藤四郎にもつながる話もあるのですが、今日はこのへんで!

最近大包平も人気下降中なので、新パッケージにするか悩み所。でも童子切安綱を新パッケージにしたので、東西の横綱とも言われる大包平も検討中です。新しくしたら人気が出てくれるでしょうか?

太鼓鐘貞宗の入った伊達組セット
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伊達政宗、燭台切光忠、大倶利伽羅廣光、鶴丸国永、太鼓鐘貞宗

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