またまた久しぶりの大旦那武ログです。
今日は南海堂さんと壬生の前川邸さんに刀剣羊羹や武家ようかんを納品しに行きました!
けっこう買っていただいているようで何よりです。
最近は京都に観光に来ていただいて刀剣の史跡を見て頂ける方も増えてるようですね。
嬉しいことです。
その中で三条宗近の粟田神社付近や堀川国広の旗枝八幡宮付近は必ず見に行って頂く場所になってきたようですね。ところで鶴丸国永で有名な五条派はどこにあったのかわからないのではないでしょうか?そこでちょっと調べてみたのですが、確実なものはないみたいでした。
ということで、探してみることにしましょう!
あ、もし確実な手がかりをご存じの方がおられたら教えて下さい!
手がかりはまず、
①刀剣についてまとめた過去の書物を探すこと、
②刀剣を使っていたという人の記録を見てみること
③現在の地名や伝承を探すこと
④弟子筋などの伝承などを探すこと
⑤地方に移った関係者の伝承を探すこと
になるでしょうか。
そこで調べた結果は、結論から言うと第1候補は猪熊松原付近、第2候補は烏丸仏光寺付近になるかと思います。第3候補は四条大宮近くの新選組屯所のあった壬生近くになります。
では鶴丸国永が作られたかも知れない場所探し、はじめて見ましょう!
①刀剣について書かれた書物から
定番の享保名物帳。これは暴れん坊将軍徳川吉宗が刀剣鑑定士の第一人者・本阿弥光忠に命じて名刀235本についてまとめさせた書物ですが、現存しておらず、一部の写本しかありません。ここからスタートですね。
つづく